桑名宗社から約1km離れた、比較的近い場所にある赤須賀神明社です。

赤須賀神明社の鳥居は、20年に一度建て替えられます。

神宮式年遷宮で、滝原宮の第一鳥居を下賜されます。

昔は外宮第一鳥居を下賜されていましたが、それでは祭車がくぐる事が出来ないため、内宮宇治橋の鳥居の次に大きい滝原宮の鳥居を下賜されるようになっています。
赤須賀神明社の石取祭の歴史は古く、桑名宗社への献石も記録にあります。

当時は舟による“舟石取”で献石を行っていたといい、船馬町や田町よりも献石の歴史は古いそうです。
そんな長い歴史を持つ赤須賀神明社の石取祭は、昭和56年12月11日に桑名市指定無形民俗文化財第116号に指定されています。

では、何故桑名宗社への献石を行っていた赤須賀が、桑名宗社の祭礼に現在は参加しないのでしょうか?
そこには、桑名宗社氏子域と赤須賀神明社氏子域の間にある鎭國守國神社の氏子域があるためです。

士族町だった鎭國守國神社氏子域は石取祭が無く(一時期借車にて行った時代もありましたが)、文化間に隔たりがあったため参加を果たす事はありませんでした。
昨年の御大典御代替り奉祝祭では、赤須賀の祭車が桑名宗社まで曳いてくる計画がありましたが、条件が合わず断念しています。

赤須賀神明社の石取祭は、毎年8/14~16に行われます。
昭和38年までは8/15~17に行われていました。
7/15 御籤占式が行われ、祭車の曳行順が決定します。

7/25~31 夕方から午後9時まで鉦鼓練習が行われます。
(ただし、水郷花火大会開催日は休み)

(辨天町練習台)

(港町練習台)
8月第1日曜日午前9時、町屋川原で神社総代と青年会役員、連合自治会長参列による川原祓式が行われます。

8/14 叩出。朝から各町で祭車の飾り付けが行われます。

午前11時、各町青年会役員参列による祭具清祓式が神明社で行われます。

午後5時30分までに宮本町~港町の間に祭車を整列されます。

(宮本町六丁目に並ぶ花車 辨天町祭車)
その頃、各町の宿では宴会が行われています。

(宮本町青年会宿)
午後6時40分、神明社拝殿では鉦鼓打始式が行われます。

午後7時、時報と共に神楽太鼓が打たれ、祭事長の赤提燈で叩き出します。


神明社へは祭車に献石俵を積んで向かいます。

昭和40年までは、本楽昼間に献石俵を積んで神明社へ向かい、献石祭を行っていました。
神明社の前へ来ますが、渡祭ではないのでお祓いはなく、桟敷席の上には誰もいません。

神明社前を通過後、北堤防下→港橋→開勢町→南堤防上→辨天町→蛭子町→市場町を経て解散となるのは、午前0時頃です。


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