【祭車上部は何?】
前回までは、祭車本体についての発展を見てきました。
『上部は山形に決まってるだろう』
そう思う方はこちらをご覧ください。

(桑名宗社沿革誌より)
柱を立て、幕を張った祭車の上は様々なものが描かれていませんか?
当時は竹などを組んで紙を張り、中に蝋燭を点してねぶた祭りのような感じなもの(風流造り物)を作って乗せていました。

そのうちの一つに山形十二張がありました。

これが現在の主流となっているものです。
さらに言えば、もう一段多い山形二十張もありました。

明治期まではあったようですが、写真が神戸南萱町のものしか残っていないので、現存例は少なかったようです。
明治32年 電話線が町中に張られ、大正11年になると電灯線が張られ、山形を引っ掛ける事故が多発したため、山形の高さを規制する事になりました。

(長提燈から丸提燈にした上本町祭車)
また、その影響で山形より背の低い造り物を乗せる町が出てきました。

(堤原造り物 神功皇后)

(諸戸財団造り物 神鹿)
基本的には山形は曲げるものではなく、立てて曳くのが正しいようで、一本物の山形が残る所もあります。
山形を曲げるのは、城門や木戸をくぐるために設けられた機構で、近代になり電線をくぐるために活用されるようになりました。

(丸提燈に変えて以降、昔の様相を今に残す西舩馬町祭車)
山形を折る位置も様々で、このような二段目と三段目で折る以外にも種類があります。

(一般的な位置で曲げる上本町、川口町祭車)

(現在は固定されているが、根本から折る事もできる西舩馬町山形)

(一段目と二段目の間で折れた芳ヶ崎旧山形)

(蝶番は二段目と三段目の間にあるが、全ての提燈が持ち上がる旧多度町西福永(現四日市天カ須賀第三組)祭車)
また狭い所を曳けるように、三段目両端を畳み込む事のできるものもあります。

(両端を畳み込む事で祭車幅と同じになる、赤須賀開勢町山形)
戦災焼失した祭車の復元として、造り物を復活させた町もあります。

(戦前の造り物 蘭陵王を復元した西矢田町)
新たにからくり人形を造り物として乗せる町も現れました。

(今片町造り物 鏡獅子)

(今北町造り物 桃太郎)
【お願い】
皆様のクリック(応援)がランキングに反映されます。
私の見学に向かう原動力ともなりますので、ご協力の程よろしくお願いいたします!
(有効カウント1日1回のみ)
↓↓↓
にほんブログ村
にほんブログ村
YouTubeチャンネル登録もよろしくお願いいたします!
↓↓↓
↓↓↓


コメント