9/9、中臣神社の例大祭である後期桑名祭・御車祭の奏楽の練習が拝殿で行われました。
9/18 御車祭の本楽です!
前夜の試楽は、台風18号の襲来に備えて早めの式典となり、青銅鳥居の下での奏楽は延期されました。
台風一過の翌朝は吹き返しの風も無く、好天となり鳥居の下で奏楽が行われる事となりました。
何故、今回は青銅鳥居の下で奏楽するのでしょうか?
それは、青銅鳥居が建立されて今年で350年だからです。
七代桑名城主 松平定重が慶長金250両を費やし、寛文7年(1667)8月に建立されました。
旧暦8月という事は、新暦では9月頃なので丁度といったところでしょうか。
鋳物師は辻内善右衛門種次。
伊勢湾台風やその他の天災で被害を受けた時も、歴代の辻内家(辻内鋳物鉄工)により修復されています。
鳥居には、昭和34年9月の伊勢湾台風による船の衝突痕が残っています。
説明文には鳥居正面の凹みがその痕だとされていますが、正しくはこの筋です。
鳥居の裏側には建立年が書かれていますが、表側にも文字があります。
読めませんよね
という事で画像加工してみました。
華表巍巍 惟直惟圜、
神威可畏
保定萬年と書かれています。
その他にも上り藤紋など様々な紋様が施されています。
さて、話は戻り式典です。
辻内鋳物を来賓に迎え、
宮司により修祓が行われます。
役員による『さぁ御楽(おんがく)始めませう』の発声と共に奏楽の開始です。
奏楽は童子が大太鼓と羯鼓を担当。
伶人は龍笛と締太鼓を担当します。
座着の曲の後、攻めの曲です。
攻めの曲の後、下がり羽の曲です。
下がり羽の曲の後、音取りの曲です。
音取りの曲の後、渡りの曲です。
羯鼓と大太鼓は曲間に交替します。
大太鼓の所作も独特なものです。
この奏楽は楽翁公(松平定信)により作られた北市場の楽曲で、戦争で途絶えていたものを昭和42年に故老の記憶により復活したものです。
戦前までは、尾張津島天王祭の車楽に似た楼車2台が青銅鳥居前に据えられ、その中で奏楽が行われていました。
第二次世界大戦で楼車は焼失し、鳥居のところでの奏楽は行われていませんでしたが、今回久しぶりに行われました。
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