松一祭車見学の続きから!
波板欄間も波の彫刻です。

一段台輪なので、胴体部分にのみ欄間があります。

ここからは松原の他の祭車と少し違う部分です。
額は御簾です。
(桑名第七組清水町や長島町松ヶ島でも見られます)

亀腹には蝙蝠が描かれています。

西洋ではドラキュラなどのイメージが強いものですが、中国語では「蝙蝠」 (biānfú) の音が「福が偏り来る」を意味する「偏福」 (piānfú) に通じるため、幸運の象徴とされています。
(※Wikipediaより)

後破魔の蓋には三つ巴と抱き沢瀉紋。

聖武天皇社の紋が菊の紋であるのに対し、この紋は何の紋でしょうか?

多度町内母神社も同じ紋を用いており、何らかの関わりがあるのか、たまたま一緒なのかはわかりません。
松一で製作された団扇にも抱き沢瀉紋がありました。

松一と抱き沢瀉紋の関係について、ご存じの方はご教授ください。
ちなみに表側はこんな感じでした。

続いて西平町祭車。

元は松一の均車として所有されていたそうです。

現在は西平町子供会の皆さんが囃しています。

ここの五ッ拍子の掛け声が独特です。
“チョイサ”や“ワッショイ”を用い、他では見られません。

素木部分は近年改修されたものです。


三角は両側共に虎の絵です。

桁や太鼓掛の小口には、波に千鳥の絵が貼られています。


太鼓掛両端は松が彫られており、これも珍しいですね。


持送は唐草。

祭車サイズからすると、少し大きめです。

祭車見学の間に、読者様に叩かせていただきました。



一部の石取祭に見られる、太鼓と鉦を分担している場合を除いて、これは推奨されるべきルールです。

松一と松二が囃子を揃えて叩く様も良かったですね。

画像では判りづらいですが、松一には二尺一寸の桴があります。

振らせていただきましたが、とにかく振り遅れる!
そして、一齣叩いたら、疲労困憊となります
普段使っている桴が一尺六寸~七寸とすると、12~15cmも長いわけで、立ち位置もその分だけずれなければいけません。
こんな面白い写真も撮れたし、何とか全祭車を一枚の写真に収められないか…と思いチャレンジ

無事成功

西元町祭車が写ってないんじゃないかって?
よく見てくださいよ…ほら!写ってますよ

イベントも終盤に迫った頃、片付けです。



西平町はどこに仕舞うのだろう?と思っていたら、別棟のこの倉庫だったんですね!


私も叩かせていただいた御礼に、力仕事をお手伝い。

松原は何故か、太鼓を二つ以上持っている町が多い気がします。


そして、山形柱を抜くところと抜かないところが半々のようです。


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コメント
コメント一覧 (4)
うちには2尺3寸の桴があるぜよ。
その長さは既に桴ではないですね(笑)
こんなんあるの知らんかった(^^;
西平のこの祭車での復興時は
白紙の状態から始めたので、最初は掛け声も無く・・・・
この掛け声は、昔からのものでなく、リーダー的な
おばちゃんがしばらくして付けたような・・・
(元西馬の人かな、、、)
持ち送りだけ立派でしょ、
松一の最初のやつの流用だったかと。。
これは天カ須賀の方からの情報です!
鯨船はその後の情報検索で知った事でした。
西平町も当初は別行動でしたよねぇ。
掛け声も斬新な事で(笑)
しかし、それが無いと間も取りにくいですし。
持送はそんなような話を昔聞いたような…すっかり忘れてしまった私(^^;