西町から向島町へ。
町内を曳いている、向島町 鉄英剣鉾についていきます。

方向修正は梃子棒を入れて行うのですが、ガタンガタンと音がして、慣れてない私にはチョイと不安になりました。

梃子棒は、輪止め代わりにもなります。

じっくり見ていると、向島町の大御所の方に声をかけていただき、色々教えていただきました。
・向島町 鉄英剣鉾


前額は“探溟”(=暗がりを探ること)。

後額は“剪莽”(=草を刈ること)とあり、大海を探り、草叢を刈るという意味だそうです。

車輪は朱塗り。(前は赤と黒に塗り分けられていた?)

石取祭車の厚みは薄くて安定感がないと仰られましたが、それには反論しました。
石取祭車は、如何に薄い破魔で狂いもなく、安定して曳く事ができるか…という大工の業なのです。
化粧板は、“向”の字の連続模様。

天幕は、花丸霊獣図。

水引幕は、波に鯉。

中水引幕は、金と銀の角龍文です。

後幕(=本祭には前に付ける)は四季農耕図で、これも珍しい題材。

牛で田を耕し、

苗を植える。

黄金に実った稲穂を刈り、

脱穀し、

米蔵に入れています。

曳き廻しが終わり、提燈を外した後でも楼車は動きませんでした。
こちらの蔵は国道25号線を越えたところにあり、警察官の誘導のもと動かさなければなりません。
この国道が拡張された事により、65軒あった世帯数も25軒に減ったそうです。
警察官が到着して、だんじり蔵へ。
大御所のおじ様から、
『曳くのをお手伝い願えませんか?』
と仰っていただき、綱を引かせていただきました。
楫棒が付かない楼車は、方向万力という方向転換用の車がついています。
(写真は東町のもの)

ジャッキで方向万力を下ろして、楼車を回します。




蔵に入ったところで、私たちも帰路に就きました。

初めて、上野天神祭を見た感想としては、想像以上の豪華さを感じました。
また、楼車は京都の文化を色濃く感じましたし、話し言葉も京都の言葉に似た印象を受けました。
同じ三重県でも、北勢地方と伊賀地方の文化の違いを感じました。
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