下坂町から堀田通りへ。

曳き出しは午後からとの事なので、天魔後援さんにご教授をいただきながら、祭車の考察をします。

この堀田通7・8丁目では昭和25年頃、芸者を乗せた山車を曳いていたそうです。
(三味線を弾いて芸者の歩く、底抜け屋台か?)
翌年、桑名に縁のある芸者から石取囃子を習い、現在の山車(瑞光車)を曳くようになりました。

祭車も桑名から購入したとの伝承があるそうですが、型式が全く違い、当地にて新造或いは近隣からの購入と思われます。

これは私考ですが、南区星崎廻間組山車或いは知多方面の山車を模して造られたのではないでしょうか?

幕で被われているので普段は解りにくいのですが、屋根のついた前山があります。

また、その前山を支える持送も存在します。

天幕ではなく、見送幕である点も知多方面の山車と似ています。

この見送幕は当町にあった、ゑびす屋呉服店の寄贈品です。

台輪より外に車輪が有るため知多型外輪輪覆山車とでも分類しましょうか

曳行時には使用されるところが見られませんでしたが、名古屋型山車で用いられるテコ棒も存在する事から、本地祭りなどの近隣地区より山車の曳き廻し方式を習ったと見てもいいでしょう。

太鼓を支えるのは持送ではなく、大井田のような台輪より立てた柱です。
(※大井田祭車は持送があります。)

提燈は夜間照明としてではなく、装飾の一つのようで、重化(じゅうけ)が一体化しています。

※重化…提燈の上下の輪っかの事。上が化粧輪、下が重箱と言い、二つ合わせて重化と呼びます。
山車の内部より上に上がる事ができます。

屋根の上には神輿のような大鳥がついています。

曳行時は幕で被われる上山の中には、

大榊が供えられています。

丸い頭の檳榔子は、こちらで作られたものでしょうか?

午後1時、田光八幡社に向けて出発します。


名古屋高速の下を通りますが、

例年とは違い工事用の足場があり、

幟が折れてしまいました。

この瑞光車、過去にも接触事故を起こした事があったそうで、昭和30年代に熱田神宮へ曳いて行った際に、名鉄電車の架線に引っ掛かって損傷してしまい、現在の大きさになったそうです。
気を取り直して曳行再開。

方向転換の時はズリで行います。

この低さの楫棒は、員弁地方の石取地車を連想させます。

各町では、獅子頭を祀った宿が作られています。




田光八幡社境内では、氏子各町が御輿を担いだり、獅子頭を持って参拝に訪れます。




参拝後には、お神酒をいただきます

かなり絵が上手い子供御輿。



…が、何故か一面だけこのキャラでクオリティも低いというカオス。

堀田通7・8丁目は、山車のため境内には入れないので、神職がお祓いに出向いてくださいます。



お祓いが済むと町内に戻ります。


帰りは下り坂なので、後綱が必要となります。

今まではそのまま町内に戻っていたそうですが、他の氏子町内も廻るようになりました。



下坂町を通る時には遠くに、4丁目の石取祭車が見えました。

曳き揃える事もなく、蔵へと帰って行きました


堀田囃子を動画で!
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