2/13 朝日町歴史博物館で、川越町の祭礼に関する講演会がありました。
川越町のお話ですが、朝日町の文化講座。
第1回は朝日町小向の八王子祭について、第2回は桑名石取祭について、今回が最終回でした。
講演内容に合わせて、私の脚注・写真を合わせて紹介します。
【川越町の祭】
・石採祭
→豊田、天神、豊田一色の3地区で毎年7月第4週末に行われる。

・足上げ祭
→高松地区で毎年8/14に行われる。

いずれも平成2年5月に川越町無形民俗文化財に指定されている。
・稲熱(いもち)
→当新田、亀須地区で毎年7月第3~4週の土曜日に行われる
当新田は平成3年に、亀須は平成7年に川越町無形民俗文化財に指定されている。
【川越町について】
→Wikipedia参照
【石採祭】
・豊田一色

日露戦争戦勝祝いの仮装行列がきっかけ。
地元の篤志家 大塚寛太郎が桑名より買い付け、若者に与えた。
現車は桑名北本町の物で、太鼓掛などにその部材が残る。
(平成元年の大改修により大半を造り替えた)

・豊田

大正頃より始まる。
昭和5年以降(昭和9年?)に、桑名上本町の祭車部材が使われた祭車が当地へ。
上本町でも用いられていた鬼板の龍頭。

・天神町

昭和4年、豊田より分区。
旧祭車は豊田より譲られた物(桑名西矢田町均車)。
現祭車は平成19年、辻建築(本体)、森双鶴(彫刻)により新造。

町の花である水仙、

町の鳥である燕の彫刻もある。

※筆者注 旧祭車の方立にも絵が施されていた。

《石採祭という表記について》
桑名では石取祭と表記する。
川越町では石採祭と表記していた。


それは書き間違えたものか?
本家桑名への遠慮か?
現在の川越町内では石取祭の表記が多い。


※筆者注 私考では、祭導入時期の表記をそのまま引き継いでいたのではないかと考える。
江戸時代の名所図会などでは“石取”の文字が、明治時代の祭典規約では“石採”の文字が見られる。
《祭りの音楽》
・祭唄 お勝っつぁん
・囃子 五ッ拍子
→豊田と天神町は同じ地区なので似た五ッ拍子。
豊田一色は川を跨いでいるので豊田地区とは違う五ッ拍子。
※筆者注 上記の講演内容は間違いで、豊田一色と豊田が同系統の短い間を持つ五ッ拍子、天神町は間を長く取る五ッ拍子である。
天神町の隣地区である天カ須賀住吉町と同じ五ッ拍子のため、囃子が伝承された流れに何らかの共通性があるのかもしれない。



【足上げ祭】

・古い記録に残るのは「三重県下の特殊神事」「富田六郷氏神記」
昔はお寺で行われる盆行事であったが、近代になり神社の神事となった。
・足上げ祭の名前の由来も解らず、後世に正しく伝えるために保存会を発足。
《祭りに向けての準備》
・太鼓締め
・練習(太鼓、本練り「シーシー」)
・松明づくり(麦藁)
・行灯、賽銭などの準備 等
《祭りの流れ》
・太鼓車と大鉦車を曳く町練り
・公民館~神社までの本練り
→午後6時半より一時間半掛けて練る
・八幡神社内の練り
→青年団が火を点けた松明を持ち、境内の心柱を反時計回りに回る

《祭りの道具》
・締め太鼓(+こども太鼓)
・大鉦
・松明
・担ぎ太鼓

以降、次回へ続く。
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