畑新田から松之木へ!
松尾御厨神明社に据え置いてありました。


この祭車の改修に関してはこちらをご覧いただくとして、その他気になった部分を綴ります。
水引欄間彫刻は、現代の石取祭車では見られない彩色が施されています。

この鬼板は先代鬼木のもの。

昭和34年の伊勢湾台風で蔵が倒壊し、折れたので新しく造り、先代の物を接ぎました。
大きな額彫刻も珍しい(富田西町所有時代に取り付けられた説もあり)。

反対側の額にはひび割れがあり、それも伊勢湾台風の被害です。
祭車を見学していると、地区の皆さん(昔の青年さん)から色々お話をうかがいました!
大社祭での松之木の見事っぷりを、皮切りに石取祭車のお話に移ります。
正面の雪洞はそのお話を聞いた、60代後半くらいのお父さんが青年団の時に付けたものだそうです。

祭車の下に付けたタイヤも、でんちゃん(鬼木を高く持ち上げる所作)の際に一気に下ろしてしまうため、前破魔が割れてしまうので補助として付けているそうです。

本来は毎年祭車を曳き出すのが慣例なのですが、青年団や担い手の減少や祭礼経費のかかる事(大社祭も行っているため)などを理由に2年に一度の山車曳きとなっているそうです。
その他にも面白いやり取りなども聞かせていただき楽しい時間が過ごせました!
(同世代のお父さん方の会話)
『この人は昔から祭りをやっとるで、よぉ祭りの事を知っとるわ!』
「そんな事あらへんわ!」
ボソっと『(俺が青年団やったんは、20年くらい前の話やけど、この人は40年くらい前やでな!)』
「この雪洞は俺が青年団の時に付けたんやったなぁ」
『そうやった!俺らが青年団の時やったな!』
…あれ?お父さん方の卒団の差が、20年離れてるはずなのに(笑)
なんて冗談をおっしゃったり、大変お祭りに関してよくご存じの方々でした!
翌15日、曳き廻しです。


こちらには、五ッ拍子と七ッ拍子が伝承されていますが、他に類例が無く、
『どこでも叩ける!』を自負している自分も苦手な囃子だったりします

祭車庫の前に気になる物を見つけました!

この木馬、大社祭の練習に使用するものでしょうか?

他地区にもあるのでしょうか?
ご存じの方は、ご教授ください!
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