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の続きです!


【明治40年代 造り物復活の時代】
・明治43年(1910)の電燈線引き込みにより、危険回避のため、山形に高さ制限が設けられた。
各町、長提燈から丸提燈に変えたり、御幣の位置を変えるなどした。
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(大正頃の桑名第一組上本町祭車)

・造り物に変える町も多く見られた。
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(昭和61年復元新調 桑名第九組西矢田町祭車・蘭陵王(先代は明治39年に新調するも戦災焼失))

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(明治30年新調 諸戸会・神鹿)

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(明治43年新調 桑名第八組堤原・神功皇后)

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(旧桑名第八組寺町(現真言宗醍醐寺派 土佛山 聖衆寺境内秋葉神社奉納物)・烏天狗)

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(旧桑名第一組東舩馬町北本町(現四日市市富田西町)・天鈿女命復元図)

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(桑名第一組花街川口町祭車・天照皇太御神)



【戦災による祭車の喪失と復興】
・昭和20年7月17日夜半と24日の空襲により、市街地の91%を焼失し、石取祭車も10台が残ったのみとなった。
(当時桑名宗社に渡祭していなかった西榮町を除き、西舩馬町、羽衣、花街川口町、江戸町、宮北、田町、太一丸、東太一丸、八坂町、西馬道)

・翌21年より、近隣各地から借車して祭礼を行う。
遠くは、多度町や木曽岬町、弥富市前ヶ須町、四日市市富田などからも借り、本楽翌日には必ず返しに行くという、熱い心意気があった。

・仮車などを造った町もあり、昭和23年の上本町祭車再建を始めに、各町の祭車再建が続いた。
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(昭和24年7月の桑名第一組上本町祭車)

・新造当初は、戦災焼失祭車を復元する予定だったが、時代が変わるにつれ考えも変わり、違う意匠となった祭車もある。



【現在の祭車と祭礼】
・三崎通祭車三角を彫る際に、三代木澤忠兵衛の下絵が残る木澤家に依頼をした。
木澤彫刻は五代目木澤直次良になっており、五代目は佛壇欄間彫刻程度しか彫った事がなかったので苦労した。
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(桑名第三組三崎通祭車 右三角彫刻・紅葉に夫婦鹿)

・知多半島で活躍した彫刻師彫常(新美常次郎正池)の弟子である岩田冬根は、親戚筋の関係から戦前より新町祭車の小彫りを行っていた。
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(桑名第六組新町祭車 太鼓掛彫刻・雷電神)

・戦後復興期の彫刻師として、桑名では岩田冬根が一番手掛けている。
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桑名第十一組中央通祭車 右三角彫刻・渡辺鋼一条戻橋)


・平成19年「桑名石取祭の祭車行事」として、国指定重要無形民俗文化財の指定を受ける。
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(二段台輪亀腹型祭車 桑名第一組上本町祭車)

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(一段台輪水引幕胴幕型祭車 桑名第一組羽衣祭車)

・桑名では、叩出、試楽、本楽、雨天でそれぞれ飾り付けを替える。
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(雨天での桑名第一組曳き別れ)




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