8/4 残すところあと一日。
(本楽叩き出しの大半の画像はchikest様提供
)
午前2時、本楽叩き出し。
各町とも根取り(祭車曳き)さんは昼からの曳き出しに備えて帰っていただき、青年会中心に曳かれます!
そのため、我が町は略装。

下六張に万燈を乗せ、町旗も外しています。
( 10年程前までは、下六張の提燈は晴れていても油提燈を用いていた)
他の町でも、下段左右に一張づつ吊るすのみの祭車や、山形と万燈・御幣は付けたままでも、下六張しか提燈を付けないところなどもあります。
本楽叩き出しなので、本楽仕様の懸装をきっちり行う町もあり様々です。
また、第九組では福江町を除き、均車(ならしぐるま…祭車を模した練習台や本祭車よりも質の落ちるセカンドカー)で叩き出しを行います!
我が組の他の祭車はというと…

西舩馬町は試楽仕様をそのまま引き継ぎ、日が昇る早朝に本楽仕様に全て替えるようです。
羽衣は山形六張、水引幕・胴幕・雪洞を外した姿です。
(山形六張は宮北でも見られます)
今年は休祭ですが、花街川口町では屋形のみを乗せた員弁方面スタイルなどで、行います!
久しぶりに今年は、フル根取り!
若い衆に曳き方やしきたりを事細かに教えました。
…が、疲れてこのような角度から祭車を眺める事が何回も

午前3時半頃、曳き別れ。
曳き別れでも疲れてて、叩きませんでした…。
昔は2巡した上、住吉神社の坂も祭車を曳いて昇り、それでも祭車が止まると叩きに行ってた自分はどこへ行ったのやら?
そう言えば、私が年番会長の時は、曳き別れ開始してから会長連中で隠れて、曳き別れを長々としたっけ
(全会長を探してた当時の各町青年副会長様、ごめんなさい
)
朝10時より飾り付け!
午後0時半、曳き出しです!

境提燈は正午を持って取り外されたので、町内を隅まで行き、春日前も曳いてから集合場所の川口町へと向かいます!

鳥居の向こうでは片町が、整列に向かうところでした!

そんな様子を暑い中、富田西町の青年が見に来てくださいました!
(ホントに石取好きやねぇ
)
八間通りを超える頃、京町が鶯宿角の交差点を横切って行きます!

京町が先に通ったので、第二組の3台が先に交差点を西進します!


我が町はまだ組の集合場所へ向かう最中なので、先に通らせてもらう旨を第五組に伝え、交差点を北進。

祭車は東海道(川口町・江戸町境)の丁字路より、美濃街道(花街~本町~宮北~三崎通)へと各組が入ります。
この丁字路の午後0時半からは祭車銀座となり、南北両側から祭車が整列場所へと送り込みに向かい、混雑するのです!
第一組は第六組の後ろに入り、第十組の前に入れていただきました。
我が組の送り込みの祭車順番は、渡祭番号の遅い町から先頭です。
(第26番 羽衣、第19番 西舩馬町、第15番 上本町)

これは、遠くへ並ぶ町を早く行かせるための措置だと思います。
また、逆順だと南並びの時は、定位置に就く祭車を後車が待たねばならず、余計に整列位置へと着くのが遅れる上、渋滞の要因になります。
しかし、第十組は渡祭番号の早い町から曳かれます。
(第5番 新矢田一丁目、第11番 西榮町、第12番 馬道…)

これは、南並びの時に第一組とは逆方向から来るからです。
(つまり、若番号の方が自組より遠くなるためです)
過去に上野町が本楽参入した頃、上野町が自組内で最も早い渡祭順となった事がありますが、送り込みの要領が完璧ではなかったため、馬道(当時は東馬道)が先車となり、曳いた事がありました!
今となっては、懐かしい昔話ですね
さて、話を戻して上本町祭車は整列位置の今一色寺町にある曹洞宗 法性山 海蔵寺前へ到着。

Uターンして曳き込みましたが、夏の炎天下のアスファルトはえぐれてしまう…

そんな中、横を西馬道や西矢田町がすれ違って行き、知り合いや親戚同士で会話を交わします!


送り込みが終わり、第3番 寺町の横を通って帰ろうとすると…

神主姿はいるわ、ミストが出る装置はあるわと人だかりでした
(本楽叩き出しの大半の画像はchikest様提供
午前2時、本楽叩き出し。
各町とも根取り(祭車曳き)さんは昼からの曳き出しに備えて帰っていただき、青年会中心に曳かれます!
そのため、我が町は略装。

下六張に万燈を乗せ、町旗も外しています。
( 10年程前までは、下六張の提燈は晴れていても油提燈を用いていた)
他の町でも、下段左右に一張づつ吊るすのみの祭車や、山形と万燈・御幣は付けたままでも、下六張しか提燈を付けないところなどもあります。
本楽叩き出しなので、本楽仕様の懸装をきっちり行う町もあり様々です。
また、第九組では福江町を除き、均車(ならしぐるま…祭車を模した練習台や本祭車よりも質の落ちるセカンドカー)で叩き出しを行います!
我が組の他の祭車はというと…

西舩馬町は試楽仕様をそのまま引き継ぎ、日が昇る早朝に本楽仕様に全て替えるようです。
羽衣は山形六張、水引幕・胴幕・雪洞を外した姿です。
(山形六張は宮北でも見られます)
今年は休祭ですが、花街川口町では屋形のみを乗せた員弁方面スタイルなどで、行います!
久しぶりに今年は、フル根取り!
若い衆に曳き方やしきたりを事細かに教えました。
…が、疲れてこのような角度から祭車を眺める事が何回も

午前3時半頃、曳き別れ。
曳き別れでも疲れてて、叩きませんでした…。
昔は2巡した上、住吉神社の坂も祭車を曳いて昇り、それでも祭車が止まると叩きに行ってた自分はどこへ行ったのやら?
そう言えば、私が年番会長の時は、曳き別れ開始してから会長連中で隠れて、曳き別れを長々としたっけ
(全会長を探してた当時の各町青年副会長様、ごめんなさい
朝10時より飾り付け!
午後0時半、曳き出しです!

境提燈は正午を持って取り外されたので、町内を隅まで行き、春日前も曳いてから集合場所の川口町へと向かいます!

鳥居の向こうでは片町が、整列に向かうところでした!

そんな様子を暑い中、富田西町の青年が見に来てくださいました!
(ホントに石取好きやねぇ
八間通りを超える頃、京町が鶯宿角の交差点を横切って行きます!

京町が先に通ったので、第二組の3台が先に交差点を西進します!


我が町はまだ組の集合場所へ向かう最中なので、先に通らせてもらう旨を第五組に伝え、交差点を北進。

祭車は東海道(川口町・江戸町境)の丁字路より、美濃街道(花街~本町~宮北~三崎通)へと各組が入ります。
この丁字路の午後0時半からは祭車銀座となり、南北両側から祭車が整列場所へと送り込みに向かい、混雑するのです!
第一組は第六組の後ろに入り、第十組の前に入れていただきました。
我が組の送り込みの祭車順番は、渡祭番号の遅い町から先頭です。
(第26番 羽衣、第19番 西舩馬町、第15番 上本町)

これは、遠くへ並ぶ町を早く行かせるための措置だと思います。
また、逆順だと南並びの時は、定位置に就く祭車を後車が待たねばならず、余計に整列位置へと着くのが遅れる上、渋滞の要因になります。
しかし、第十組は渡祭番号の早い町から曳かれます。
(第5番 新矢田一丁目、第11番 西榮町、第12番 馬道…)

これは、南並びの時に第一組とは逆方向から来るからです。
(つまり、若番号の方が自組より遠くなるためです)
過去に上野町が本楽参入した頃、上野町が自組内で最も早い渡祭順となった事がありますが、送り込みの要領が完璧ではなかったため、馬道(当時は東馬道)が先車となり、曳いた事がありました!
今となっては、懐かしい昔話ですね
さて、話を戻して上本町祭車は整列位置の今一色寺町にある曹洞宗 法性山 海蔵寺前へ到着。

Uターンして曳き込みましたが、夏の炎天下のアスファルトはえぐれてしまう…

そんな中、横を西馬道や西矢田町がすれ違って行き、知り合いや親戚同士で会話を交わします!


送り込みが終わり、第3番 寺町の横を通って帰ろうとすると…

神主姿はいるわ、ミストが出る装置はあるわと人だかりでした

コメント
コメント一覧 (4)
マニアやねぇ(笑)!
オレも不参加なら、本楽昼間から見に行って祭車を眺めてるかも?
そして、夜は祭りの空気を堪能!
DVDとかでしか見たことが無いんですよね。。。学生の頃も、「石取=夜のお祭」と思い込んでて昼間に行ったことが無くて(:;)
西矢田の今年の祭事長は親戚のおじさんです(笑)。
昼間は暑いだけです。
暑いだけ、暑いだけ。
と言いつつ、順路を経て集まってくる祭車群にハァハァものの私がいます(笑)
彫刻とかを見るなら昼間ですね!
石取祭車は逃げませぬ。
ですから、人生の晩年にゆっくりと御堪能ください!