
8/14 蛭子町祭車庫内見学の続きです!
- 赤須賀蛭子町

6月に行われる赤須賀神明社末社の稲荷神社の祭礼に奉納(余興)された、石取コンクールの赤須賀版といったものです。

中部日本新聞社(現 中日新聞社)の後援で優勝旗も作られた盛大なものだったようで、桑名石取祭の合祀社祭余興(石取コンクールの前身)を模したものだったのでしょう。

蛭子町は一部、二部共に優勝しており、当時は大変上手い町内だったんですね。

翌年も優勝しており、上手い人が揃っていた時代なのでしょう。


祭車新造時の芳名板もありました。

根取(音取)一同からの寄付も面白いところですが、隣の辨天町より中古太鼓が贈られているところが面白いです。

この中古太鼓は現在の練習太鼓のようで、戦前に作られたもののようです。

古い鉦もあったので、見せていただきました。

昭和23年8月新調 関西鋳造所の銘があり、私の知らない業者が戦後の石取祭を支えていた事がわかりました。
夕方、献石俵を祭車に積んで宮本町へと曳き出します。

蛭子町は第一番なので、市場町祭車と開勢町祭車より先に整列へ向かいます。



夕方5時半くらいの赤須賀神明社境内は閑散としており、宮本町祭車庫からは青年会の楽しそうな声が聞こえます。

拝殿前には祭車に載せて献石する、蛭子町と辨天町以外の献石俵が置かれています。

(※令和7年現在 祭車へ載せての献石は任意です)
午後6時前、提燈屋さんが昨年壊れてしまった赤提燈を直しに来てくれました。

午後6時を過ぎると各町役員が鉦鼓打始式のため拝殿に参集します。

午後6時35分、宮本町の面々が参拝し、祭車整列位置へと向かいます。


午後6時40分、開勢町青年会が参拝にきました。



午後6時59分、今年の祭事長である港町の方が拝殿から出てきました。


赤提燈が花車に見えないように隠しながら、楼門跡へと進みます。

が、楼門に着く前に叩き出し時刻の午後7時を過ぎてしまいました。

赤須賀の叩き出しは時報と共に神楽太鼓が打ち鳴らされるので、この時点で神楽太鼓は鳴っています。

楼門跡を越えて提燈を振り始めた時刻は、午後7時0分25秒でした。

赤須賀時間ともいえた叩き出し合図でした。


(桑名石取祭の叩き出し時刻は俗に春日時間とも呼ばれ、神事を終え神楽太鼓を叩く時間はおよそ午前0時となっているため若干前後します。)
私は夕食休憩を取って見に行くと、第一番蛭子町祭車が神明社前を出るところでした。
- 第一番 赤須賀蛭子町






ピース

(この記事の一部画像は、雷井戸くんにご提供いただきました
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