
7/6 東洋町と松二の祭礼準備が行われました!
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こちらも山形を飾りました。

雪洞の張り替えは青年団の仕事です。

今回は石取祭車見学が主ではなく、この神輿見学が主役です。

大鳥が間違った方向についたこの神輿は、松二祭車庫に長年眠ったままでした。

とある方と松原石取祭の歴史を話し合う機会があり、この松二神輿の存在が気になりました。

松二の読者様に相談したところ、蔵の2階から下ろしてくださる事に。

読者様は仕事の都合で参加できなかったのですが、お声をかけていただいたので私が調査に参加させていただきました。

瓔珞や木鼻が取れていますが、大半の部材はありそうです。

神輿内に納められていた御幣です。

四方には神鏡が置かれています。

屋根の中に年号が残されているとの言い伝えから、屋根を解体してみる事にしました。

中老会の方と協力して解体に挑戦しますが、屋根は外れません。

台に載せて下から覗いて見ると、ボルトと蝶ネジで止められている事がわかりました。

錆び付いた蝶ネジと屋根内に止まるナットが供回りして、外すのに苦労しました。


台輪内には銘は見当たりませんでした。

中老さんが苦労して屋根を外してくださいました。

期待して中を覗いて見ましたが、こちらにも銘は見当たりませんでした。

神輿の構造には詳しくないのでよくわかりませんが、この神輿は屋根材には下地しかなく錺金具で屋根の形を作っているようです。

金具を外したら何か書かれているのかもわかりませんが、この日はここまでで断念しました。

外されていた御幣は、予想通り神輿内に刺さるようになっていました。


中老さんが構造をチェックしています。

蕨手や大鳥も既製品ではなく、職人の手でつくられたものでしょう。

どこかに作者の銘があればいいのですが。

裏菊紋は現在の山形提燈裏に使われているものと同じです。

柱にあった右三つ巴はどこの紋でしょうか?

屋根を正しい位置に戻しました。

もしかすると、現在の祭車庫に移す時に屋根を外して持ってきて、納める時に間違った位置で取り付けられたのかもしれません。

調査を終え、祭車庫へと再び戻します。

この神輿は、松二祭車建造前に担がれていたもので、東洋紡の間を往復していたそうです。

写真を見てもわかるように、大人4人で持ち上げられるほどの重さです。

神社への寄贈を打診するも受け入れていただけないようで、処分される方向になりそうです。

聖武天皇社大祭の歴史を表す証拠ですので、是非とも残していただきたいところですが、どうなるかわかりません。

もし最悪処分されるのであれば、完全解体して詳細調査を行ってみたいものです。
7/12 私用で近くまで来たので、練習を少し見てみました。
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