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9/22 笠田新田地区を曳く、大泉新田祭車の続きです!

  • 大泉新田
途中、振る舞いもありました。
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さて、何故離れた大泉新田と笠田新田が同じお祭りをするのでしょうか?
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その歴史は古く、新田開発による水不足で笠田大溜が築堤された事に由来します。
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貢献した桑名藩5代藩主松平定綱の威徳を称え、大溜来遊の大名行列を偲んだ祭りとして、藩の許可を得て承応元年(1652)に1回目が行われました。
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松平定綱は寛永13年、同15年、同16年(1636、1638、1639)に大溜来遊し、舟遊びを楽しみ楚原の眞養寺に宿泊したそうです。
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大泉新田神明社や祭車にある梅鉢紋は、大泉新田を開拓した正木嘉兵衛に許されたものを神紋として使用しています。
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前述した神明社が何故2社もあるのか、疑問に思われた方もいるかと思います。
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これも大溜が関係しており、何度も大溜が決壊したため正木嘉兵衛が伊勢神宮より安全祈願をした大麻を授かり、大溜神明社の創建となりました。
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また、大泉新田にも分霊し、大泉新田神明社が創建されたため、同名の神社があるのです。
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また、大溜には天の岩と呼ばれる小島に弁天像がかつて祀られていましたが、ある年 水かさが増して祠が危険にさらされた時?水番をしていた大泉新田青年が泳いで助け出し、以降大泉新田区長宅にその弁天像は安置されているという事です。
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そして、弁天様(市杵島姫命)は大溜神明社の左側にお祀りされ、このお祭りはその弁天様の祭礼となっています。
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とはいえ度重なる大溜の決壊や、田畑が増えた事による水不足が深刻となり、大溜の水利を争う事が度々ありました。
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そこで時間を分けたのが笠田新田にあるこの刻限日影石(日時計)で、弘化4年(1847)に建立されました。
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右側には従日之出七ツ半時迄大泉新田、左側には従七ツ半時日之出迄笠田新田と彫られており、その時間各村が水を取る事ができました。
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この刻限日影石は争いをなくした平和の象徴とも言え、弁天祭を両区が楽しく行えるのにもこういう背景があった事を知っておきたいところです。
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さて一足先に観音堂で待つ、笠田新田祭車を見に行きました。
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  • 笠田新田
構造から当地で造られたと思われる、階段段板突出水引幕胴幕型四輪地車です。
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台輪の構造が知多半島の山車で見られる、妻台輪枘先が平台輪を貫く形です。
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※参考 半田市成岩西馬場神車
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大泉新田の台輪は妻台輪に平台輪と擦台輪の枘先が出て、貫いています。
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他にも楚原祭車などの台輪も、大泉新田と同じ造りなので石取地車としてはこちらが一般的なのかもしれません。
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階段を後付けしたものではないと思われますが、三角はありません。
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持送は四本柱に付いておらず、腕を湾曲した柱で支えています。
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水引欄間は端部が井桁組みとなっており、唐草の木鼻になっています。
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以上のような部分が他地区で見られる四輪石取地車と異なっており、独自の型式と言えるでしょう。

上山屋形は唐破風です。
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上山鬼板は雲で、眼象には梅鉢紋が施されています。
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上山懸魚は鳳凰です。
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上山太平鰭は梅鉢紋と雲です。
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上山欄間は龍です。
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上山木鼻は唐獅子です。
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階段蹴込は錺金具と紅葉図です。
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昇は昇降龍図です。
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(この記事の一部画像は、力神丸くんにご提供いただきました‌)




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